サウナ体験をより豊かにしてくれるフィンランドの国樹、白樺のお話
さて今回は少し趣向を変えて、フィンランドのサウナ生活、ひいてはフィンランド人のライフスタイルそのものに欠かせないとある「木」についてのお話をしたいと思います。
資源の乏しいフィンランドにおいて今も昔も重要視されている業界が、木材や製紙を生み出す森林産業。実はフィンランドの森って、全体の95パーセント以上がオリジナルの森ではなく「木の畑」なのです。その一大産業を支える3大樹種に数えられるのが、ヨーロッパアカマツ(mänty)、オウシュウトウヒ(kuusi)、そしてカバノキ属のいわゆる白樺(koivu)。これらの3種の木は、国の財政を支える材木としてだけでなく、それぞれにフィンランド人の日々の暮らしや慣習と深く結びついています。たとえばアカマツからは前回ご紹介した万能薬の木タールが抽出されるし、トウヒの若木は各家庭のクリスマスツリーとして活躍します。
けれど、とりわけサウナライフとの親密さで言えば、「白樺」に注目しないわけにはまいりません!サウナ愛好家が白樺から受ける恩恵は計り知れないのです。ではそもそも、フィンランド人にとって白樺はどんな存在の木なのでしょう。
白樺は、どの季節の風景にも欠かせないフィンランドの象徴樹木
1988年に、フィンランドでは国民投票によって「国樹(国の象徴樹木)」が選出されました。そのときに、有効票の4分の1以上の票を集めて象徴樹木の座を勝ちとったのが、他でもない白樺(rauduskoivu)です。
都会に住んでいても森のそばに住んでいても、まったく見ない日はないであろう、あまりにありふれた白樺の木。フィンランド人が故郷の景色を思い浮かべるときも、誰もが無条件に白樺のある風景を頭で描いているといいます。白樺の文字どおりの真っ白な表皮は、夏は空の青や森の緑とくっきりとしたコントラストを生み出し、冬には雪に閉ざされた風景に溶けこんでモノトーンの景色の清澄さを強調します。さらには5月ごろに白樺が芽吹き始めると、その小さな新葉を「ネズミの耳」という名で愛でて春の到来を喜び、秋には一足先に真っ黄色に色変わりする白樺の葉を見て紅葉シーズンの始まりを知ります。このように、四季折々に彩りや姿を変化させる白樺は、フィンランドのあらゆる季節の風景を引き立てているのです。
また、今日までもっとも良く親しまれているフィンランド童話のひとつに『白樺とお星様(Koivu ja Tähti)』という作品があります。このお話では、18世紀の大北方戦争のときにロシアに連れて行かれた兄妹が、祖国の家の庭にあった白樺の木の記憶だけを頼りにフィンランドの我が家をめざし、旅を続けていきます。つまりこの物語世界でも白樺の木が、愛おしい故郷の記憶そのものとして描かれているのです。
使って良し!口にしても良し! とことん暮らしに根ざした万能の木
ところで幹の特徴的な白色こそが白樺の魅力!と思いがちですが、実はその白い表皮を剥いだなかにあらわれる、樹皮や木材の色自体もまたとっても魅力的なのです。白樺の木は、内側の木部も色白でなめらかで、どこを使っても木目模様が美しく浮かぶ、べっぴんさんです。マツなどに比べて強度は弱いので建材には向きませんが、表面の美しさも重視される家具や床材、キッチン用品などにはぴったりの素材。編みかごなどの白樺の樹皮細工や、白樺の幹にできるコブを採取しくりぬいて作るアウトドアマグカップのククサ(kuksa)も、フィンランドを代表する伝統工芸品として今でも日常的に愛用されています。さらに白樺の葉や樹皮は毛糸などの染色素材としても重宝されるのです。
白樺は、その美しいビジュアルだけがフィンランド人の心を捉えているわけではありません。古来フィンランド人は、白樺の木から採取できるさまざまな成分が身体によい効果をもたらすと信じ、栄養分や薬として活用してきた歴史があります。白樺に寄生するチャーガと呼ばれるキノコも、今なお希少な万能薬として売買されています。実のところ、それらの効能の多くは科学的根拠にはとぼしく漢方薬に近いのですが、今日はっきりと科学的にその効果が証明されているのが、日本でもおなじみのキシリトール成分。白樺から抽出される天然甘味成分キシリトールは、口にすれば砂糖と同じように甘みを感じられるのに歯を溶かす酸の原料にはならず、口内細菌の活発度を大きく抑制してくれる効果があることが、1970年代の研究で明らかになりました。
サウナと白樺の、切っても切れない大切な関係
さてさて、そんなフィンランドの風景の技巧派主演女優とも呼べる白樺が、サウナのなかでどんなふうに活躍しているのでしょう…。まずなんといっても欠かせないアイテムが、地域によってヴィヒタ(vihta)あるいはヴァスタ(vasta)と呼ばれる、室内で身体をしばくための白樺の葉束です。
初夏に出てくる若葉をたくさんまとった若木だけを手折って集め、十分なボリュームになったら持ち手部分を柔らかい枝でぎゅっとしばって、あっという間にできあがり。夏のコテージなどでのサウナ浴の前には、この葉束をあらかじめいくつか作っておいて、サウナの中に持ち込みます。はじめ少し水でぬらして葉をしんなりさせ、そのあと勢いよくバッシバシと自分や他人の身体の各所をしばいてゆきます。若葉がしっかりついた束なら、ある程度力をこめて身体にヒットさせても、痛いと感じることはありません。またただ執拗に叩くだけでなく、葉先でゆっくりと全身をなぞってやさしく肌を刺激するやり方もあります。
まだここまで語ってこなかった白樺のさらなる魅力のひとつが、特に若葉が蓄えているエッセンシャルオイルの豊かな香り。白樺の葉の香りは、嗅ぐだけで森の中で深呼吸しているようなすがすがしい心地が体中をめぐります。このすばらしい香りを、身体が最高のリラックス状態にあるときに満喫できるのがヴィヒタの醍醐味!サウナ室内の蒸気が葉の香りをいちだんと引き出してくれるので、皆が身体をたたき始めると部屋いっぱいに白樺の香りが充満して恍惚とした気分に。しかもこのエッセンシャルオイルが、触れるたびに肌をうるおし美容効果を発揮してくれるのは言うまでもありません。
夏の若葉の季節だけにしかこの恍惚さを体験できないのはもったいない、と、かつては夏のうちに大量に作ったヴィヒタを乾燥保存し、冬にもお湯で葉を戻して使っていました。今日主流なのは、なんとヴィヒタの冷凍保存!これなら、サウナに持ち込めばみるみるうちに解凍して新鮮な香りを楽しめますからね。ちなみにこの冷凍ヴィヒタは、なんとスーパーマーケットの冷凍食品コーナーの一角で販売されているんですよ。
また、白樺のエッセンシャルオイルを抽出して作ったアロマオイルやシャンプーなどもたくさん出回っています。けれどやっぱり、夏のサウナのなかで体感する生ヴィヒタの香りと心地に勝るものなし!ですね。
もうひとつ、サウナに白樺が欠かせない理由。それは、白樺の薪はサウナストーブを温めるときの最適な燃料になるということです。サウナに欠かせない焼け石を温めるためのサウナストーブも、家庭用では電気ストーブが主流になりつつありますが、やはり元祖薪ストーブの魅力には適いません。木が燃えるときのパチパチという音、香ばしいにおい。そういった五感にうったえかけてくる要素すべてが、サウナ室内での体験をより豊かで愛おしいものにしてくれます。白樺は、とりわけ燃費性にすぐれ、表皮が釜の温度が上がるまでの燃焼剤代わりにもなるので、実はサウナや暖炉を長時間温めるのに格好の木材なのですよ。手馴れた人は、新聞紙や燃焼剤がなくたって白樺の木材だけを巧みに使って火力を安定させてしまいます。
春が来ると、田舎の家のあちこちで、冬のうちに伐採された樹木でスパ-ンと薪割りしたり枝打ちする音が響き渡ります。薪木は買うと結構な値段がしますが、このように私有林の木を伐って先一年分の大切な燃料を確保している家庭もまだあります。
サウナの中でも外でも、恩恵尽くしに思える白樺の木。とはいえいい事ばかりでもなく、春先に一気に放出される真っ黄色の花粉は深刻な花粉症を引き起こすことも…。それでもやはり、誰しもの日々の暮らしに欠かせない、名実ともにフィンランドの象徴樹木であることは疑いありません。今後フィンランドでサウナを体験する機会があれば、ぜひとも年中入手可能なヴィヒタ片手に入室して、嗅覚や触覚でもいっそう豊かなサウナ時間を満喫してみてください!