
「エストニアのサウナ文化に触れる旅」UNESCO無形文化遺産に登録された エストニア・スモークサウナ文化を訪ねて
@ヴォル, エストニア Võru, Estonia / October, 2015
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現地訪問
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サウナ見学編

Moi!ショウ吉永です。
今回は、2014年に無形文化遺産登録されたエストニア・ヴォル地方のスモークサウナ文化についてレポートします。
それはどんなサウナ文化なのか?
なぜフィンランドではなくエストニアのサウナ文化が?
気になる部分をまとめてレポートします!
同行したサウナ大好きフィンランド人のミッコです!
時々登場する僕のコメントもお楽しみください!

エストニアの首都タリン。旧市街は「タリン歴史地区」として世界遺産に登録されている。
サウナ文化の無形文化遺産登録
はじめに、今回の訪問のきっかけとなった無形文化遺産登録について少しご紹介します。
2014年秋に新しく誕生した無形文化遺産のひとつ、それが『エストニア・ヴォル地方のスモークサウナの伝統(Smoke sauna tradition in Voromaa)』です。ここでいう伝統に含まれるのは、スモークサウナ室の建築技法や修理法、入浴のための準備や儀式の方法、サウナ室内で肉をスモーク調理する方法など。また、それらを年長者から若い家族へと受け継いでゆく行為も含まれています。
尚、サウナ文化登録に向けたUNESCOへの働きかけは現地住民によりスタートしたものですが、登録の実現には、エストニア政府、さらにはフィンランド大使館の協力も大きかったそうです。
今回の旅では、ヴォル地方にある約160ものスモークサウナのうち3件に訪問することができました。
スモークサウナ紹介ページ(UNESCO)
エストニアそしてヴォル地方について
エストニアはバルト海をはさんでフィンランドの南、約90キロに位置する共和国です。沿岸にある首都タリンは、ヘルシンキから船で2時間ほどのところにあります。
首都タリンが築かれ、国としての形が生まれはじめたのは11世紀です。しかしドイツ、スウェーデン、ロシアによる占領が続き、独立を果たしたのは1918年のこと。その後、1940年に再度ソ連に併合されますが、1991年に再度独立を果たして現在に至ります。
占領支配や併合が繰り返される中でも守り継がれてきたエストニアの文化。しかし、近代化やソ連への併合が文化に与えた影響は大きいものでした。そこでエストニア政府は、2005年から『民族文化保護プログラム』をスタート。タリン旧市街の世界遺産登録を果たすなど、積極的な文化保護に取り組んでいます。
今回訪れるヴォル地方は、エストニアの南東部、首都タリンから南に350Km程にあり、ラトビアそしてロシアと隣接しています。ユニークなのは、そこではヴォル語という特有の言語を話す人々(ヴォル族)が独自の民族文化を持ちながら暮らしているということ。
ところでヴォル地方には、サウナを『唯一のおもてなし』として占領下でも差別なく利用させたというエピソードが残っているそうです。
いよいよ文化遺産
登録の立役者さんにお会いできます。
楽しみ!

無形文化遺産登録の立役者と会う
タリンから車で移動してヴォル地方に到着すると、私たちは無形文化遺産登録の立役者である素晴らしい女性たち、エダさん、エップさん、キューリさんに会うことができました。
旅行会社で働いていたエダさん、作家・画家のエップさん、政府機関で文化保護プログラムの仕事に携わっていたキューリさん。3人の女性たちは、いずれもヴォル族であり、ほぼ同時期にサウナ文化の保護について考えていたのだそうです。そして紹介を通じて出会ったことで、登録への活動を加速させていったといいます。
かんたんな自己紹介の後、国際サウナ協会のエロマー理事とその奥様と合流した私たちは、サウナ見学のために地区内を移動しました。

登録を実現したパワーはスゴイ!
彼女たちを行動させた
きっかけは何だったんだろう?
後で聞かせてもらおう!


1軒目に訪問したのは画家のエップさんのご自宅。到着すると、まずは軽食をいただきながら、エップさんの写真やイラストを使った現地サウナ文化についての本を見ることができました。
そして、いよいよサウナ見学です。エップさんの家のサウナは、なんと壁面の一部に傾斜面を利用した『地中スモークサウナ(アースサウナ)』と呼ばれるものでした。聞けば、その昔は、木材が貴重な上に加工するにも重労働だったため、丘や土手の斜面などを活かして作られるサウナが多かったのだそうです。昔の人の知恵が感じられる興味深いスモークサウナでした。
次に訪ねたのは鍛冶屋さんと敷地内のスモークサウナです。鍛冶屋は農機具を作ったりできることもあり、共同体の中でも大切にされてきました。
鍛冶屋歴26年の主人によると「仕事のため多くの薪を用意する鍛冶屋と、多くの薪を使うスモークサウナとは当然の組み合わせ」とのこと。ちなみに、ここのサウナは古いものではなく、移り住んできた当時に作り上げたものだといいます。そのためにわざわざ30キロ先の小屋をバラして運んできたり、樹齢100年ほどの木を用意したりしたのだそうです。拝見すると、主人のこだわりが感じられる、心地よい空間作りがなされていました。

ところでヴォル地方では、住人が自宅のサウナを作ることが当たり前だといいます(サウナ作りが得意な友人に頼んだりすることはあるらしいです)。そして建築方法の他、入浴方法、儀式の内容なども各家庭独自のものがあり、それぞれに代々受け継がれているそう。それらも、この地方の特徴であり伝統のひとつなのだそうです。
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ここで興味深いマナー話を聞くことができました。それは『サウナは各家庭のプライベートな空間であり、中を見るには承諾を得る必要がある(断られる場合もある)』ということ。そう聞くと当たり前のようですが、ユニークなのは、同時に『サウナを使わせて欲しいという客が現れた場合、決して断ってはならない』というマナーが存在することです。理由は、ヴォル地方の寒さの厳しさ。冬には氷点下20℃ほどになる日もあるため、サウナが命綱である場合もあるのです。他国による占領下においても相手が誰であれサウナを提供したというヴォル族の、他者や生命への姿勢を感じる話です。

サウナの作り方など、生活のために必要な知識をちゃんと持ち、受け継いでいるなんて素晴らしい。
他者を思いやる精神もあって、素敵な土地柄だなあ。

ムースカ・ファームに到着
そして三箇所目はエダさんのご自宅であり、現在も活動拠点となっている『ムースカ・ファーム』。早速ファーム内を散策しながら説明をうかがいました。
「ファームには3つのスモークサウナがあります。燻製用のサウナ、そして2つの入浴用サウナです。入浴用サウナは、週一度の心身リラックス、家族のイベント、近所コミュニティーの交流などに使われます。ちなみに、ひとつのサウナはまだ新しく、もうひとつは古く神聖なものです」
「私たちは《サウナは経験によって神聖さを増す》と考えます。私たちにとってサウナは神聖かつ衛生的な場所であり出産や看取りなども行なう場所ですが、私たち自身がそういった重要な儀式を積み重ねサウナに体験させていくことが大切です」
どうやら現地の人々にとってサウナが特別な意味を持つ場所だということもわかってきました。サウナ室を見学するだけではわからない、文化遺産登録の理由も見えてきそうです。


ショウ吉永 Profile
福岡県生まれ。株式会社メトス代表取締役。本名・吉永昌一朗。
幼少期にボーイスカウトで自然と人の共存の重要性を学ぶ。航空自衛隊で整備士として働いていた時代、基地内にあるサウナへ同僚達と通ったことが、サウナの魅力を知るきっかけとなった。その後、アパレル業界、照明インテリア業界を経て、メトスへ入社。異色のキャリアならではの発想力と行動力で、日本の温浴文化を活性化させている。全国のサウナにロウリュを定着させるため、旧中山産業(メトスの前身会社)が蓄積していた膨大なノウハウと情報を活用し、「ikiサウナ」や「サウナisness」といったロウリュが可能なサウナヒーター、アウトドアでサウナ浴ができる「テントサウナ」など、これまでにないサウナを日本に広めた。近年は、サウナとエンターテイメントを融合させる「ロウリュ熱波隊」プロジェクトや、サウナヨガなど、サウナの新しい楽しみ方を研究・提唱している。共著に「温泉の百科事典」など。

ミッコ・パランデル(Mikko Palander) Profile
フィンランド中部の、森と湖以外何もないレイヴォンマキ村で生まれ育つ。幼少期は、放課後に毎日10キロ以上自転車をこいで一番近かった友達の家に通い、その経験が後に長年の趣味となる筋トレに目覚めるきっかけとなった。中学生の時に、父親と村の大工と一緒に自宅の庭にゲストルームつきのサウナ小屋を建て、サウナ室も自ら施工した経験を持つ。ユヴァスキュラ大学に入学後は、アジア史を勉強しながら日本語の学習をはじめ、2012年には金沢大学に一年間留学。しかしなぜか普段は関西弁を話す。在学中から、柔道やブラジリアン柔術など数多くの武術に打ち込んでいる。現在は、メトスのヨーロッパ事業開発コーディネーターとして、フィンランドを拠点に現地視察コーディネートや通訳翻訳、仲介業務などを行なっている。