フィンランドのビジネスシーンに根付く驚きのサウナ文化
今年のフィンランドは、気温も勢いよく下がって雪が断続的に降り、フィンランド人たちにとって非常に好ましい冬を迎えています。北国ではそんな冬があたりまえだろうと想像されるかもしれませんが、実は近年、こうした「典型的な」冬が巡ってくるのが逆に珍しくなっているのも事実。クリスマスに雪がまったくなかったり、いつまでたっても気温が落ち込まず湖や海が凍らなかったり、かと思えば6月末に突如雪が舞ったり…最近は唖然とするような異常気象に翻弄される頻度が高くなった、と皆懸念しています。これは果たして本当に人間の営みに端を発する現象なのでしょうか。
さて今回は、ちょっとアダルトなサウナ世界の話題を…題して「フィンランドのビジネス社会に根付くサウナ文化」に関する現場レポートです。
どこかで聞いたことはありませんか?フィンランドではビジネスの現場にもサウナがあって、サウナのなかで商談もしてしまう…というにわかには信じがたい噂を。確かにフィンランド人のサウナに対するあふれんばかりの愛、そして日常においての多目的なサウナライフは、ここまで回を重ねて紹介してきたとおりです。けれど、ビジネスシーンにもサウナということは…日本人の感覚で言えば、あなたのオフィスに温泉や露天風呂があって、そこに上司や部下や取引先のお相手を誘って裸のお付き合いをする…そんな光景が当たり前だと主張されているようなもの。その真偽や実情を確かめるべく、今回はインタビューや現場取材を試みました。
最初に訪れたのが、フィンランド内外でオフィス物件の賃貸や管理サービスを提供する株式会社テクノポリス(Technopolis Oyj)が、筆者の暮らすユヴァスキュラ市内で運営している、総合オフィスビル・インノヴァ(Innova 1)。約30年前にオウル市で創業したテクノポリス社は、フィンランド国内や北欧諸国の10都市以上で総合オフィスビルを運営しており、いずれも好立地・高サービスなのが売り。各企業の専用オフィスだけでなく、ビル内には最新設備のレンタル会議室や応接室も完備し、行き届いた清掃や管理サービスを請け負っています。現在では1700もの企業が、テクノポリス社の提供する快適なオフィスにビジネス拠点を設けています。
ユヴァスキュラ駅のすぐ裏手にそびえる、敷地面積10.100㎡、15階建てのガラス張りの建物が、インノヴァ。メッセ会場やビジネスホテルも近くに集まり、少し歩けば美しい湖岸や港にも出られる納得の好立地で、ビル内には名だたる企業が営業所を構えています。実はテクノポリス社が所有する総合オフィスビルのいくつかには、クライアント(テナントに入る企業の社員たち)だけが使えるサウナ施設が設置されているのだそう。こちらインノヴァの最上階には、とりわけ誰もがうらやむ展望サウナ室があると聞き、今回同社の営業アシスタントのアンネ・ユルハさんの案内のもと見学させていただきました。
このサウナはリクエストがあれば日中から深夜まで利用することができますが、あくまで貸し切り専用で、社員でも利用料がかかります。利用責任者が利用状況表を見ながらネットやメールを通じて事前予約をし、後でテクノポリス社に利用時間に応じた料金を支払うシステムです。
アンネさんに、このサウナの利用状況について尋ねてみました。
「サウナは平均週2~3回は借りられているかしら。使い道として多いのは、忘年会や社員の記念日などの社内パーティの会場として。だから年末が一番予約をとりづらいわね。私はかつてここを借りて娘の卒業パーティを開きました。主催者がこのビル内のオフィスワーカーなら、身内のパーティを開いたり外部の人を招待したりするのもOK。もちろん、特別な日でなくともプロジェクトがひと段落したあとや、社員の疲れがたまっているときに上司がサプライズ企画で貸しきってチームを労うこともあります。あと、少し珍しいけれどときにはこのビルにオフィスを構える企業同士が、合同でサウナパーティを開くことだってあるんですよ。
そしてもうひとつの重要な役割は、大事なビジネス相手の接待の場ですね。サウナに招待することは心からの歓迎の意の表れと受け取ってもらえます。それに心地よい気分になれるサウナのなかでは、確実に親睦が深まりますし、本音を受け止めやすいですから。商談の続きやシリアスな相談なども、あえてサウナの中に持ち込むことでよりポジティブな方向に導くことができる、というのは理に適ったことだと思います」
こうして話を聞いていると、フィンランドのビジネスマンにとってのサウナという場所は、日本のサラリーマンたちの居酒屋の役割を果たす場所のように思えてきます。
ところで一日本人として気になるのが、こうした社内・社外のサウナパーティで、セクシュアル面はどう対処しているのかということ。ほら…日本だったらきっと「異性の上司とサウナなんてもってのほか!」と嫌がる女性社員だっているでしょうから。公衆サウナには男女別に2つのサウナ室がありますが、少なくともインノヴァにはサウナ室は1つしかありません。少しひねくれた質問ではありますが、男女の問題の解決法や、これまでになにか問題は起きたりしなかったのか、また特に女性社員の意識について、突っ込んで尋ねてみました。
「学生同士のサウナパーティの場合、サウナ室がひとつしかなかったら勢いで男女一緒に入ってしまうこともありますが(もちろんやましいことが目的ではありません!)、ビジネス上の付き合いのなかでは、さすがに場をわきまえ、工夫をします。たとえば、まず先に女性同士が入る時間を設けて、そのあとに男性の時間…というふうにタイミングを分けたり。サウナにはみんな裸で入るのが普通ですからね。けれどサウナ浴後は、男女ともに身体にバスタオル一枚を巻きつけただけ、あるいはバスローブをはおった姿で、同じラウンジで一緒にクールダウンのひとときを楽しみますよ。そこでセクシャルな問題が起こったという事例は聞いたことないし、考えたこともないわ。サウナとは、そういうハラスメントとは無縁の、公平で安全で楽しい場所…という刷り込みが誰しもの頭の中にあるからかしら。あとフィンランドは女性が強いから、そのイメージが抑制力になっているのかも!」
ですって。
サウナでのフィンランド人の「常識」は、日本のビジネス社会ではにわかには共有しがたいほど成熟しているのですね。
さて、次にお話をうかがったのが、やはりユヴァスキュラ市内で、自身の会社を経営するパヌ・シルヴァスティさん。彼は、運送業などの現場で活用されるシステム構築や管理を行う新興企業の社長で、従業員はパヌさんを含めた3人の精鋭エンジニアたち。事務所は、やはり貸し切りサウナのついた、複数の企業が集まるオフィスビルの一角を借りています。
「弊社では、社員だけでなく会社のお得意様たちをオフィスに招いて、日頃の慰労と感謝の意を込めたサウナパーティを開催します。ユヴァスキュラ市は夏にラリーの世界大会が開催されることで有名な街で、しかもそのスタート地点がちょうど弊社の目の前の広場なので、昨年の夏はまさにこのラリーの日に合わせて、お得意様をオフィスのサウナにご招待しました。サウナ室といっても、その横には皆で飲み食べをしたり自由にくつろぐことのできるホームパーティルームも併設されているので、サウナが温まるまでは、そこにスクリーンを設置して皆でラリー中継を見守りながら、同時に窓から実際のスタート会場を見下ろしたりして、楽しんでいただきました。」と、ラリー&サウナというユニークな接待の写真を見せてくださったパヌさん。
なるほど、社内のサウナパーティ会場というのは、サウナそのものを楽しむだけでなく、いろいろなエンターテイメント要素を組み合わせながら、オリジナリティあふれる宴会や接待のできる場所でもあるのですね。
「私たちはまだ企画したことがありませんが、ピックヨウルと呼ばれる忘年会でサウナを貸しきる企業も多いです。フィンランド人サラリーマンたちにとっての忘年会はとても大切な日で、食事会だけでなくスポーツ大会、クルージングなどいろいろなプログラムを並べ立てて、かなり長丁場になるのも普通です。ですから、スポーツイベントの後にいったん帰社してサウナへ、そして食事会へ…という行き来をすることもあるんですよ。レストランでの食事会はやや形式的で、途中で席を移動するということもあまりありませんが、サウナの場合、他の人とより自由に親密にコミュニケーションがとれるのがいいところですね。」と、パヌさんはサラリーマン業界におけるサウナという娯楽のポテンシャルを次々と教えてくださいました。
ところで、フィンランドのオフィスにサウナ文化が当たり前に持ち込まれるようになったのがいつ頃からのことなのか、はっきりとした調査記録などは見当たりません。けれど国際サウナ協会会長を務めるフィンランド人、リスト・エロマーさんは、「労働社会とサウナのつながりは、はるか昔からこの国に根付く『サウナ=ホスピタリティの場である』という伝統の中で生まれ、形を変えてきた文化」だと説明します。フィンランドの家庭では今も昔も、サウナを温めておいて誰かを招待するという行為は、相手に対して「おもてなし」の強い意欲があることを意味します。
上司にとっての頼れる部下たちも、会社にとってのお得意様も新規取引先も、「いつもごくろうさま」「これからもよろしくお願いします」という感謝や労い、末永いお付き合いを願う大事な相手。その気持ちを、物やお金ではなく素敵な時間や体験を贈るという方法で伝えられるのが、サウナという場所であるようです。ビジネスの場で誰かをサウナに招待することは、フィンランド人にとってとても自然で平和的な行為なのでしょうね。もっとも、サウナというおもてなしを純粋に喜ぶには、サウナ空間が◯◯ハラスメントなどという不安材料とは無縁の、神聖で、公平で、安寧だけをもたらす場である、という暗黙の了解とモラルが大前提になってくるのはいうまでもありません。
また一方で、「交渉の場」としてのサウナのイメージを世間に大々的に作り出したのは、俗にいう「サウナ外交(Saunadiplomatia)」… 戦後に国家レベルで推進された、他国の外交官たちからすれば空いた口の塞がらない斬新な交渉術でした。
1950年代初頭から通算4年ほど首相を務め、その後25年以上にわたって大統領の座についたウルホ・ケッコネン(1900-1986)は、戦後も尾を引いていた隣国旧ソ連とのわだかまりによって自国が立ち位置に苦しむなか、世界的なリーダーや官公吏たちをテーブル会議終了後すぐプライベートサウナに誘いこみ続けたといいます。そして、皆が裸を見せ合い、心地よさについ気を融解させていく隙をついて、なおも粘り強く巧みに交渉を続けたのでした。
また、アフリカ地域などの紛争解決に力を尽くしノーベル平和賞を受賞したことでも知られる元大統領、マルッティ・アハティサーリ(1937-)も、名だたるサウナ外交官のひとり。彼は60年代以降にタンザニアなどのアフリカ諸国に駐在し現地の要人らと関わりを深めるなかで、「この暑い国でサウナとはどういうことか?」と戸惑う人たちをまぁまぁとなだめながら、やはり積極的に大使館のサウナ室に呼び込み、共に汗を流しながらさまざまな議題について語らい続けることで、国境線を取り払い心と心の距離を縮めようと奮闘しました。
こうしたフィンランド人ならではのハートフルでユニークな交渉術は今日にまで引き継がれ、例えば現首相のストゥブ・アレクサンダーは、外相時代の自著で「私は一度サウナに誘い込んだ相手は、私の案に同意してくれるまでサウナから出しませんよ」なんて、ウィットの効きすぎた発言までかましています。
ともかく、ここでいうサウナは、まるで『北風と太陽』のお話のように、公務で凝り固まった人々の脳や気持ちをほやほやと解きほぐしてくれる効果が期待される場所。無防備な裸姿とともに本音をさらけ出し、静かな空間で相手の声に耳を傾け、平和的な歩み寄りを検討するためには、実はサウナこそが、会議室よりも最適な場所と言えるのかもしれませんね。