特別編:東西文化の交易点ジョージアに息づく、知られざる入浴文化アバノ(前編)
さて、普段は北欧フィンランドから、フィンランド人たちの様々なサウナ浴文化についてレポートを重ねているこのSauna on Valmis。ですが今回は、例外的にしばしフィンランドを離れて、これまでなかなか調査やレポートが日本語で報告されてこなかった、とある小さな国に息づく入浴文化のことを、5月にSuomiのおかんが現地で行なったフィールドワークをもとに、お話したいと思います。
その国とは、ずばりジョージア。それってアメリカの州じゃなかったっけ?と首をかしげている方も多いのでは。ならばグルジアといえば、ピンとくるでしょうか。
国土の西側が欧州とアジアを隔てる黒海に面していて、北はロシアに、南はトルコやアルメニア、アゼルバイジャンといった国々に囲まれている旧ソ連国の旧グルジアは、2015年に正式国名をジョージア(Georgia)に改称。人口は430万人ほどで、フィンランドよりもさらに小規模な国家です。地理的にイスラム圏かと思いきや、なんと4世紀にはすでにキリスト教が国教化されており、敬虔なジョージア正教徒が今でも大半を占めます。公用語は、学ばなければまったく読み書きできない独特な文字で書かれるジョージア語。平坦なフィンランドの風土とは対照的に、コーカサス山脈の横たわるジョージアは全土にわたって山岳地帯で、北方には5000m級の厳めしい山並みもそびえます。ワインの一大産地として有名で、人々は自宅でも日常的にぶどう酒を醸造し、なんと路上で自家製酒を売り買いしていたりもします。
日本人はビザ無しでもジョージアに入国できるのですが、直行便もありませんし、観光・治安情報も少なく、日本からこの国を訪れるためだけに休暇を使って旅に出るという人はやはり少ないでしょう。それはフィンランド人にとってもほぼ同じ状況です。ところが、最近少しずつ、フィンランドからとある目的のためにこの国を訪れる個人旅行客が現れてきているのだとか。そしてついに私自身も、彼ら同様、イメージの乏しいこの小国を旅しようと思い立った理由、それはずばり、「ジョージアには、その特異な自然環境と歴史文化に育まれたユニークな公衆浴場文化が息づいている」という噂を、フィンランドのサウナ協会の方々に聞いたからでした。これまで日本の銭湯、フィンランドの公衆サウナに注目してきた身として、その無名の国に一体どんな浴場文化があるというのか、かなり気になります。そういう経緯で、協会の皆さんのコネクションの力を借りながら、少し早い夏休みを兼ねて単身でジョージアに飛び、首都トビリシやさまざまな地方都市、小さな村や集落までを約半月かけて訪ねまわってきたのでした。
前置きが長くなりましたが、それでは、日本とフィンランドの入浴文化に慣れ親しんだSuomiのおかん目線で今明かされる、ジョージアの入浴事情レポート(全2回予定)をお楽しみください!
首都トビリシの都心には歴史ある温泉街が!
硫黄臭ただよう公衆浴場は、今も昔も女性たちの美容と社交の場
ジョージアの首都トビリシは、国の全人口の1/4が集まる政治経済の中心地。内陸部に位置していて、街を分断するようにクラ川の河畔に開けた潤いのある街です。首都とはいえ、どこからでも見渡せば街が山並みや小高い丘に囲まれてるのがわかり、それらの頂上にはたいてい、ぽってりと丸みを帯びたジョージア正教会やインパクトある巨大偶像が建てられています。めだった建築を見る限りはヨーロッパ風というイメージが先行しますが、旧市街の建物はそぼくな木造建築が多く、中央アジアやトルコなどのイスラム建築やアラベスクを思わせるような、繊細で細やかな装飾も見受けられます。迷い込むほど、個性の強い周辺国や東西文化のいろんな影響がブレンドされてできた街であることがわかってきます。
そんなトビリシの観光エリアの中心地、旧市街の辺縁には、近づくに連れてむわっと硫黄の臭いが漂う天然温泉街が存在していました。そもそもトビリシという町の名前の語源も、「温かい(泉)」なのだとか。旧市街を見下ろす断崖絶壁の高台には、4世紀から存在したという由緒あるナリカラ要塞の城跡がそびえ立っています。その真下に、崖の裏手から墜ちる清流の滝と硫黄泉の源泉とが交じり合ってクラ川に注ぎ込んでいる湯の川があり、その周辺一帯が、現役も利用されている浴場が集まるエリア。まるで女性の豊満なおっぱい(実際に市民もそう形容します笑)のような形をした石造りのドームがたくさん並んでいるのがわかります。このドーム一つ一つのなかに、お風呂(浴槽)が存在しているのですね。小さなドームにはプライベート利用客用の個室が、大きなドームの下には男女別の公衆浴場の浴槽が設置されています。
5世紀にはすでにここに温泉が発見されており、かつてはかのマルコポーロもここに立ち寄ったことがあるそうですが、現在の形状の浴場建築が建てられたのは17~18世紀ごろ。ちなみにこのユニークな形はもともとイランから伝わったのだそうです。なるほど、だからキリスト国なのにややイスラミックなドームを冠しているのか…。
ハンガリーやスイスなど、温泉街を持つ都市は欧州各地にも見受けられますが、ふつうは水着を着用します。けれどジョージア人の入浴文化においては、日本やフィンランド同様、男女別で脱衣が基本。とはいえ、イスラム文化圏も近いこの国で、誰もが恥じらいなく人前で全裸になれるわけではありません。個室が用意されているのは、より贅沢快適さを求める高貴な人へ…というだけでなく、人や文化によりけりの「恥じらい」のある人でも、ストレスなく入浴を楽しめるように、という意図があるのだといいます。とはいえ個室の方は公衆浴場の10倍以上の利用料が必要なのですが…。旅行中に出会ったイラン生まれトビリシ在住の若い男性は、風呂は好きだけれど人前で裸になるのはどうしてもできないので、2ヶ月に一回くらい、大事なイベントやデートの前にお金をはたいて個室浴場に通っていると話していました。
さて今日では、この温泉街には女性用の公衆浴場は1件しかありません。私は、その女性用公衆浴場の目の前のゲストハウスに宿を取り、滞在中毎日足を運んで、朝一番やお昼間、閉店間際…といろいろな時間の浴場のようすを、湯に浸かりながら観察してきました。
まず番台にあたる受付で入浴料を払ってレシートを受け取り、イスラム建築の回廊風の通路を通って女湯の入り口のカーテンをくぐります。すると木製のロッカーが並んでいる更衣室があり、日中は着替えをするお客さんの他に垢すり師やマッサージ師、マニキュアなどを施す美容師のおばちゃんたちが待機しています。ロッカーは、日本やフィンランドの公衆浴場のように自分でゴム付きの鍵をかけて所持するのではなく、レシートと引き換えにそのおばちゃんたちに施錠してもらいます。
その先の扉を開けるともう浴室なのですが、タオルの持ち込みは一切禁止。ビーチサンダルを履き、ソープ類だけもって入室するのが正解のようです。浴室は予想以上に薄暗く、小窓やドーム状の丸い天窓から差し込むわずかな自然光と、壁にいくらか設置されたか弱いランプの光でかろうじて照度が保たれています。壁には細い鉄パイプが張り巡らされていて、そのところどころから、蛇口をひねると硫黄臭の強い熱湯(43度くらい)がドボドボと滝のように滴るので、各々それをシャワー代わりにして浴びたり体を洗ったりします。みんな使ったあとも蛇口を閉めないので、人がおらずとも天然温泉シャワーが駄々漏れ状態でちょっともったいない気も。
浴場内には、畳2畳分くらいの決して大きくはない四角い浴槽が壁際に2つ設置されており、さらにマッサージの際に使われる、枕部分だけが少し高くなった台座が三箇所ほどせっちされています。浴槽内には、パイプからでる熱湯よりややぬるめのお湯が張ってありますが、それでも40度あるかないかで、決して日本人感覚でぬるいと感じるほどではありません(西洋の温泉は、35度前後までうめてあるのもザラ)。さらに熱湯を出し続けるホースも一本浴槽に突っ込んであって、湯に浸かりながらさらに頭からその熱湯をかぶるお客さんもちらほら。ジョージア人は比較的熱いお湯のほうが好みなんでしょうね。ちなみに浴槽は1メートル以上の深さがあり、かがんで身を沈めることはできません。立って浸かる、という感じです。
客層ですが、やはり推定50代以降のおばちゃん、おばあちゃんが中心なのは、今や世界中どこの老舗公衆浴場も同じ。ただ、そのなかに常に1~2人は20、30代の女性もいます(特に朝方)。一番風呂を目指して朝一で訪れても、常連さんの前入れ習慣があるのかすでに何人もお客さんが…という状態で、逆にお昼直後は一番すいていてゆっくり入れました。夕方以降は常時10人近いお客さんで賑わっていて、マッサージ師たちもフル稼働の様子でした。子供連れのお母さんも時々いて、やはり低年齢なら男の子でも女湯に連れてこられていましたね。
せっかくなので、ある日一回だけ垢すりとマッサージもお願いしてみました(30分で600円ほど)。前のお客さんが終わるまでは湯に浸かりながら待ち、呼ばれたら石造りの台座に座ってまずは垢すりから。施術してくれるおばちゃんも素っ裸の出で立ちです。イーストの香りがする石鹸とヘチマたわしのようなものでガシガシこすってもらうのですが、手加減一切無しで、正直肌が弱い人にはおすすめしません(笑)シャンプーもしてくれましたが、なんだかもうトリマーに動きを押さえつけながらいやいや洗われるペットの気分。洗い流しはもちろん硫黄泉で。さんざん振り回された感がありましたが、終了後は驚くほど全身すべすべで、肩もすっと楽になっていたので、これぞジョージア流なのかもしれません。
日本では温泉街というと、今も昔もおもに旅人たちが立ち寄り疲れを癒す観光地…というイメージが強いかもしれませんが、ここトビリシでは、温泉街に点在する浴場施設は主としてここらに暮らす人々の生活に根付いています。特に公衆浴場のほうは、早朝から深夜までオープンしている店舗がほとんどで、入場料も3−4ラリ(約150~200円)と、昭和の銭湯のようにリーズナブル。
とりわけ街の女性たちにとって、この温泉街の公衆浴場はかつて、美容を保つための場として、そしてオトコ抜きでいわゆる「女子会」に明け暮れるための場として、とても重要な意味を持っていたのだそうです。彼女たちが公衆浴場を利用する日は、基本的に終日そこに居座るのが普通だったとか。健康や美容に良いとされる硫黄泉にたっぷり浸かって、さらに浴室内に設置された台座で垢すりやマッサージを施したあとは、タオルを巻いた姿でお茶を飲み、長々と世間話に興じるだけでなく、なんと女同士でファッションや身だしなみの品評会もそこで行っていたのだとか。新しい服やジュエリーを入手したらまず浴場の集いでお披露目してチェックしてもらうというのが習慣で、花嫁さんの身づくろいや息子の結婚相手に関する情報交換までもここで。まさに女性が色気を高め、かつ女子だけの輪のなかで、日々の愚痴やストレスを発散するために(?)通っていた場所だったのでしょうね。その名残なのか、今日の女性の公衆浴場の脱衣室にも、ネイルアートの施術者が待機していたり、色艶やかな勝負下着がごっそり売られていたりと、ちょっと日本の銭湯やフィンランドの公衆サウナでは見かけないような驚きの光景が広がっていました。湯上がりの女性客の中には、もう湯冷めしてるのでは、というくらい長々とおしゃべりに夢中になっている人も少なくなく、まさにこれが今も昔もジョージア銭湯名物の女子会の光景なのでしょうね。
ジョージア人の入浴文化アバノが、周辺国の入浴文化と一線を画す理由
かつてはこのエリアを中心にもっと広範囲にわたって浴場が営業されていたという。温泉街から少し離れたエリアには、温泉公衆浴場の廃墟もあれば、かつての浴場建築をリノベーションしたレストランも見つかった
ところでジョージアでは、こうした(個室も大衆浴場もふくめ)浴場全般のことを、アバノ(აბანო)と呼んでいます。とはいえ、アバノの厳密な定義は(英語がまったくできないジョージア人たちのコミュニケーションの壁もあって)最後までつかめずじまいでした。「温泉街以外でも、例えばトビリシ駅近くにもアバノがあるよ!」と教えてもらって赴いたお店は、硫黄泉でも何でもないただのぬるい温水がでるシャワーと台座があるだけの個室がいくつか並んだだけの施設で、これもアバノと呼ぶのか!?と困惑させられました。ともかく水やお湯を「浴びる」ことがポイントなのかしら?
ただ少なくとも、彼らはアバノのことを、宗教色の色濃い建築で腰布が義務付けられたイスラム圏の蒸し風呂ハマムとも、フィンランドのサウナに極めて近いスタイルのロシアのバニャとも区別し、ジョージア人独自のスタイルの文化だと認識していることは感じ取れました。
確かに、これだけ有名な浴場文化を持つ国々に囲まれておきながら、アバノという言葉は他国の「風呂、入浴」関連の言葉の借用語ではない、ジョージア語独自の古い言葉です。さらに浴槽に浸かるという点では、むしろ日本や、ローマ浴場に端を発する浴場のスタイルに近いといえます。なぜ、ジョージアを取り囲む周辺国はどこもサウナ(蒸し風呂)スタイルが一般的なのに、この国では浴槽に浸かるスタイルがいまだに主流なのか…そのルーツを探るべく、このあと私はしばしトビリシを離れて、地方の街や村を訪ねる旅に繰り出しました。(後編へ続く)