築地と暖炉

築地と暖炉

築地界隈は師走の雰囲気につつまれている。普段は訪れない人たちも正月の準備となれば別である。買出しに多くの人たちが訪れ、暮れが近づくにつれにぎわいも増し、前に進むのもひと苦労な状態になってくる。築地での買い物の基本は、「値切らず、ほめて買う」こと。少しでも安く買おうとして値切るのは野暮であり、ほめると量も増え、おまけまでついてくることもある。「もってきな!」と威勢のいい、粋な声を聞きながら、ちょっと得した気分にもなれる。

買出しを終えた後の昼飯は、やっぱり魚である。炭火で焼く魚の匂いに誘われて、ついついくぐってしまうお店が「魚竹」だ。「今日はどうしましょう」という大きな声につられて「焼き魚」。間髪いれずに「ご飯は?」とくる。大盛りは多いし普通では少ないと悩んでいる顔を見られたか「やや重(おも)でいきますか」と気の利いた言葉が返ってくる。ここに鮪の中落ちもつけてもらえば最高の昼飯である。

築地は魚だけでなく、幕末から明治にかけての歴史探訪も楽しい土地である。そんな築地と暖炉の関わりは、あまり知られていない。

慶応4年(1868年)、アメリカ人ブリジェンスの設計により日本ではじめて、外国人のためのホテルが建てられたのが築地であり、現在の中央卸売市場の駐車場のあたりである。その名も「築地ホテル館」。和洋折衷の美しいホテルは、外国人からは「エドホテル」と呼ばれ、江戸が東京と改められたこの時期に名所のひとつとなり、数多くの錦絵も描かれた。シーボルトの娘、オランダお稲も宿泊したこのホテルは、部屋数は102室。娯楽としてのビリヤード台、すべての部屋に水洗トイレが設置され、暖炉が備え付けられてあった。これが日本で最初につくられた暖炉である。その後、国を操り、産業を操った明治の元勲らの洋館が東京周辺に建てられ、そこには必ず暖炉が設置されている。いくつかは現存し、いまでも見ることができる。当時の人々が見ていた火は、竃、囲炉裏、焚き火など生活の中のみである。西洋文化である暖炉の炎を見てどう感じていたのであろう。

築地で買出しを済ませ、歴史を探訪しながら、メトスのショールームへおいでください。薪ストーブの炎を眺めながら、国はおろか家族も操れないが、火だけは操れるスタッフが心をこめてご説明いたします。

著者紹介
著者:岩崎秀明
株式会社メトスが誇る、炎の伝道士。
豊富な知識とこだわりを持って、暖炉および薪ストーブの普及に励んでいる。