冬へのはし渡し

冬へのはし渡し

近代国家の成立を目指した聖徳太子は親書を託し、隋(中国)へ使節団をおくった。小野妹子をはじめとする使節団が、まず目にしたものは箸(はし)を使った食文化であった。当時、箸の存在すら知らない日本では手掴みで食事をするのが一般的であり、超大国の進んだ食文化を見た衝撃は相当なものであったようである。報告を受けた聖徳太子は、日本にも高い文化があるのだということを外国に知らせるため、箸食(はししょく)制度を朝廷の儀式に採用した。その後、民衆のあいだにも箸が広まり、食に対する美意識も高まったといわれている。

「フランス料理は鼻で食べる」「中国料理は舌で食べる」そして「日本料理は目で食べる」といわれ、素材はもとより、器や盛り付け、色合いにもこだわり、味だけでなく視覚からのおいしさも演出し、おもてなしをするのが日本料理である。また、おもてなしを受ける側も箸の持ち方、いただく作法などのたしなみが必要となってくる。「いただきます」といわれても、箸の持ち方ひとつで、この人はいただけないということになってしまう。

7世紀後半の飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)藤原宮跡から出土した桧の箸が日本最古の箸であるといわれ、その後、おもに竹の箸が多く作られていたことから箸には竹冠があてられている。割り箸が登場するのは、江戸時代末期。酒樽を作る際に出る端材の再利用に目をつけ生産がはじまり、使いやすく、使い回しをせず、清潔であることから日本人の気質に合い広く使われるようになったようである。

杉、桧、松、白樺、アスペン、竹など、いまでは様々な樹種から、年間230億膳もの割り箸が生産されており、一人当たり年間約200膳使っていることになる。これが、そのままゴミとなるのでは「もったいない」と思うのは、暖炉、薪ストーブユーザーではないだろうか。ゴミも視点を変えれば資源となる。江戸のリサイクル精神から生まれた割り箸、これからは、冬への「はし渡し」として捨てることなく、冬の炎の焚き付けとして利用してください。

 

著者紹介
著者:岩崎秀明
株式会社メトスが誇る、炎の伝道士。
豊富な知識とこだわりを持って、暖炉および薪ストーブの普及に励んでいる。